紀行と奇行の寄稿

どこか行ったり、誰かと会ったら更新していきます。ぼくの紀行録やだれか奇行してる人を記録しては記事を書いていきます。

「正の芸術」と「負の芸術」

僕の好きな映画の一つに『アメリカン・ビューティ』という映画があります。↓なんとも煌びやかでエロくてけしからん表紙ですね!!

 

この映画のタイトルから察するに、おっきい車と庭付き一戸建ての家族だとか、一攫千金を掴むサクセスストーリーかと思う人もいると思います。

しかし、映画に出てくる人物はそれとは程遠い人ばかり。主人公はダラダラ働くサラリーマンだし、結婚してるけど家庭は冷える一歩手前、奥さんとはセックスレスだしなんも華やかではない。

しかし、地味な設定だけど、面白いんですよ。だって主人公もそれらがイヤでイヤで仕方ない、それが観てる人たちの心とリンクするから。そんなささやかな共感から始まり、奥さんは実業家と不倫するし、娘は隣の人と恋に落ちる…あら、むしろこっちの方がアメリカ映画的で楽しそうですね(笑)

負けじと主人公も仕事を辞めて、欲しかった車買って、好きな人から気に入られたいと思い筋トレを始めて、ハメを外したまにマリファナを吸います。

これらはお世辞にもアメリカの美しいところとは言い難いし、理想からかけ離れてます。だけど、物語のあるあるをすっごい放り込んできます。

隣の人と恋に落ちるのは『スパイダーマン』なんかもそうですし、不倫に関しては『危険な情事』なんてタイトルからも分かる作品がありますよね。こんな感じに美しさとは箸にも棒にもかからないような絵を見せつつも、否定できない絶妙なモノをどんどん提示してくる不思議な映画なんです。

美しい映画は『ビッグ・フィッシュ』や『君に読む物語』なんかは観ていて楽しいものが尽きないと思いますが、逆に醜い映画だと『ピンク・フラミンゴ』や『ソドムの市』など恐ろしい作品の数も尽きません。

つまり、美しいものと同等に醜いものが数多くあります。それを言い換えれば、醜いものは美しいものと同等な力があるということです。力というのは観入らせることやメッセージを込めた時に伝わる力、「表現力」ですね。それが強すぎると相手の記憶、いや無意識に焼きつくんですよね。無意識に焼きつくと行動が変わってきます。

例えば、「理想」というものや「トラウマ」というものがあります。○○が好き/嫌いとあると思いますが、それにも影響を与えます。分かりやすいものだと『スクリーム』のマスクなんかは映画を観たことあるかないかで大きく違いますよね(劇中に出てくるとチビりそうになります(笑)

あとは、『ジブリ飯』なんかもそれに当てはまると思います。トースターに卵乗せて焼いた人、多いんじゃないですかね。

そのように、即物的にも、長期的にも自分の行動の根源はもしからしたら何かの作品によるものかもしれませんね。その記憶に焼きつく者こそ「芸術」であり、良くも悪くもその「衝撃」こそが芸術を評価する指標になるのかと思っています。

ウマいものを作るか、マズイものを作るかはさておいて、それがどこまで突き抜けられるのかが大事だと思うんだ。