紀行と奇行の寄稿

どこか行ったり、誰かと会ったら更新していきます。ぼくの紀行録やだれか奇行してる人を記録しては記事を書いていきます。

モンゴル🇲🇳見聞録 初海外の印象

2016年、8/29〜9/5までモンゴルへ行っていました。

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これが僕の初めての海外、憧れの海外であったから、見るもの、食べるもの、触れるもの、聞くものあらゆるものが新鮮で、未知で、面白く感じられました。特に思い出深かったものは、モンゴルらしい住居「ゲル」やそこに住む「遊牧民」の方々のこと。

ゲルの中は思いの外、家電があったりして少しずつ現代的な生活へ変わっていっているように思えました。一方で、彼らは写真や賞状、異国の置物といった思い出深いものを大切にしているようであり、遊牧民は思い出と旅する民族であるように思えました。

僕がモンゴルで面白いと思ったモノは3つあります。

 

1つは遊牧民の方が仰った言葉についてです。それは、「調味料は毒である」という事です。僕が知る限り、モンゴルで塩以外の調味料を使っているところをあまり見かけませんでした。コショウや砂糖を使うところをあまり見ませんでした。料理の味は薄めであり、言葉通り素材の味のするものばかり食べていました。そのため、ヤギやヒツジは独特なニオイがするし、ヨーグルトは酸味が効いていて日本のように食べやすいものではなかったです。

 

しかし、調味料を使って食べやすいものばかりを食卓に並べると食事というものが淡白な行為になりかねないように思えます。ある程度食べ辛いものを選択することによって、食べ物を少しずつ食べながら会話を楽しんだり、動物を食べている感覚などを逃さない事に繋がのではないかと思います。


旅の道中に野生のネギ(小さいもの)が時々あるが、それを遊牧民はあまり活用しないようです。遊牧民は野菜を家畜に与え、彼らは動物由来のモノを主体として食べるということに彼らなりの誇りがあるようです。


食べやすいものばかり食べていたり、調味料をよく使ったりすることは食べ物へ感謝の気持ちを忘れたり、食事がただの作業になりかねないのかもしれない…のかな。推測はあれど、結論や答えは見つからず。昔の人の格言は大切な言葉であるが真意がうまく見えない。


2つ目は遊牧民の「手」のことです。引率してくださった先生曰く、「彼らの手は働き者の手」であるようです。彼らは食べるもの、住むところ、仕事などをこなして遊牧民生活を送っています。それだけに男性は特に、大きく、固く、指も太い手を持っています。女性の方も男性ほどの大きさではないが、固くて少し乾燥したような手をしていました。たまに、日本女性の手に触る事がありますが、モンゴルとは逆な関係をしています。


ウマを引いたり、早朝に乳搾りをしたり、乾燥や寒暖の差が厳しい土地で育つ事により働き者の手になるのかもしれないですね。我々のような日本人にはないような立派な手でした。


3つ目は家畜についてです。主にヤギやヒツジ、ウマやイヌは色々な場所で見かけました。豊かな草原にはウシ、乾燥しているところではラクダ、寒さが厳しいところにはヤクがいました。

モンゴルは世界的に見て国土面積が広い方の国です。そのことから、家畜を放牧している事が当たり前のようで山を見ればヤギ・ヒツジがいたり、草原にウマやウシがいたり、砂漠にラクダ、寒い草原にヤクがいたりととても長閑な景色に彼らはとけ込んでいました。

そのように広く、沢山の種類の草を食べて育つから美味い肉や乳が得られるようです。少なく種類の食べ物を与えられ、狭い環境で育ってしまうとやはりニオイがキツくなったりするようです。モンゴルと比べてしまうと日本のヤギ汁は飲めないようなので、少し気になるところです。

また、肉も薬を使わずに育つから健康的であるとのこと。このことから、比較的に家畜が野生的な環境で育っているのです。健全な環境で育っている彼らを食べる事は良いことは分かりやすいが、ストレスの多い環境で育った動物の肉を食べる事によってヒトはどうなるのか…考えるとスーパーなどで肉が買いづらくなってしまいました…家畜についてあまり考えなかっただけに、なんだかカルチャーショックを起こしてしまいました。


このように驚く事が多かったモンゴルツアーでした。また、思い出したり、書きたい事があれば更新していく予定です。また、お時間あればよろしくお願いします。